tarumiのブログ

【つんので さるく】とは、長崎弁で、一緒に歩きましょうと、いう意味

忘れまい八月十五日の音

忘れまい八月十五日の音


この句を見て、「音」は、「玉音」の方がと、言った方も居られましたが、十五日は玉音放送だけではありません。
悔しさからの叫び、空襲から逃れたほっとした声、自決の銃声、叫び、機密文書を処分する音、そのほか沢山の音があったはずです。
玉音、あの電波状態の悪いラジオで、何を言ってるのか解らない、何を言ったのかと、周りに確かめないといけないような音よりも大事な真剣な音があったはずです。玉音放送も、最初に負けましたと、何故言えなかったのか、そうすればもっとよく伝わったはずです。

夏柳喜寿で起業の喫茶店

夏柳喜寿で起業の喫茶店
Facebookで、偶々知った喫茶店である。
早速訪問したところ、開店五日目ということであった。
なるほど、私とさほど変わらない年齢の店主奥様が歓迎して下さった。
私も現在の飲食店は,63歳から始めたのであるが、それでも皆様に「その年で」と、よく言われたものであります。
それが喜寿からとは、
実は私は喫茶店には自分から行くことは全くないのです。
私の考える喫茶店とは、場所と時間、店主との関りを楽しむところで、そのような場所に行き当たった事がないのでした。
ところがその喫茶店は上品なご夫婦、素敵な空間、たまには本を読んだり、作句をしたり、楽しい場所となりました。月ニ三回行くようになりました。

椿落つ飛び石は師の歩幅にて

椿落つ飛び石は師の歩幅にて


長崎時代、我が家の庭を茶庭に作り替えるとき、飛び石の歩幅が如何にも上手くいかない。そこで高齢の先生に来ていただき、その先生の歩幅に合わせて石を配置したところ、これがぴったりの形になりました。枝折戸から水琴窟の蹲まできれいな線が出来ました。
その頃の若い私たちの歩幅では上手く出来なかったかも、其の後茶会を催したのは言うまでもありません。
その時当然料理方の私が、茶碗を阻喪し皆を驚かせたのが最後の落ちでした。